日本 / 備前市・日生・吉永・旧閑谷学校

備前市を歩く 後編――海と学びと山里が結ぶ町

日生の島と漁業、吉永の山村、旧閑谷学校。異なる風土を抱えた地域から、現代の備前市のもう一つの姿を読む。

備前市日生で水揚げされた殻付きのカキ
日生産のカキ(2011年)。写真 Ippei Suzuki、Wikimedia Commons、CC BY 2.0。ウェブ用に縮小。

前編「道と港と窯がつくった町」では、伊部、片上、三石を中心に、旧備前市の輪郭をたどった。だが2005年以降の備前市は、瀬戸内海の日生と、北部の吉永を含む。

海と島、川沿いの平地、山間の集落。これほど異なる風土が一つの市名の下に置かれていることは、行政上の事実であるだけでなく、備前市を理解するための入口でもある。

日生――海は境界ではなく道だった

日生では、山が海の近くまで迫り、陸上に広い平地が少ない。その前に、大多府島、鹿久居島、頭島などからなる日生諸島が浮かぶ。市の公式資料によれば、大小13の島が日生の海域に点在している。

この地で海は、陸地を終わらせる境界ではなかった。島と島、港と港を結ぶ道であり、生活の場だった。近世には岡山藩の水夫が暮らし、漁業と海運が地域を支えた。現在も日生港を拠点とする漁業が続き、沿岸漁業からカキを中心とする養殖へと重心を移してきた。

冬のカキは日生を代表する味覚である。カキをお好み焼きに加えた「カキオコ」は、漁業の産物を地域の食文化へ変えた。生産物は市場で終わらず、店の暖簾や旅の記憶にまで形を変える。

島が近くなった日

島の暮らしは、交通によって大きく変わる。頭島はかつて船で渡る島だったが、鹿久居島を経由する橋によって本土と道路で結ばれた。移動は容易になり、観光客にも訪ねやすくなった一方、島が独自に保ってきた時間や共同体は変化の中に置かれる。

橋は距離を縮める。しかし距離がなくなるわけではない。島の歴史は、道路が開通した瞬間に本土の歴史へ吸収されるものではないからだ。海を生業としてきた知識、祭り、集落の形には、島であることの記憶が残っている。

吉永――川に沿って開けた山の町

市域北部の吉永は、日生とは対照的に山々に囲まれている。八塔寺川と金剛川に沿って細い平地が開け、集落や農地がつくられた。金剛川沿いには山陽本線が走り、東へ進めば兵庫県境に至る。

吉永の八塔寺地区は、山上に寺院と集落が形成された土地で、「八塔寺ふるさと村」として茅葺きの民家や棚田を含む農村景観を伝えている。かつて「西の高野山」と呼ばれたとされる信仰の地でもある。

ここでは、自然は眺める対象である前に、暮らしの条件だった。斜面、水、森林、限られた耕地にどう向き合うか。その積み重ねが、風景に秩序を与えている。

静かな谷に建てられた学校

吉永地域を語るうえで欠かせないのが、旧閑谷学校である。

岡山藩主池田光政は、庶民教育のための学校を構想し、1670年に津田永忠へ閑谷での造営を命じた。講堂は国宝に指定され、校門や聖廟など多くの建造物が重要文化財となっている。学校を囲む石塀、備前焼の瓦、背後の山林までが、一つの思想に基づく空間を形づくる。

重要なのは、建物が古いということだけではない。藩が庶民の学びを恒久的な制度として支えようとした点にある。教育には理念だけでなく、教師、建物、維持のための土地と収入が要る。閑谷学校は、学ぶ場所を世代の先まで残すとはどういうことかを、建築として示している。

秋の楷の木と旧閑谷学校の国宝講堂
秋の旧閑谷学校。写真 Reggaeman、Wikimedia Commons、CC BY-SA 3.0。

合併は違いを消すことではない

2005年の合併によって、備前、日生、吉永は一つの自治体になった。しかし合併は、それぞれの地域史を均質にするものではない。

伊部の窯、三石の耐火物、片上の港、日生の養殖、吉永の山村、閑谷の学校。それぞれは異なる地理条件と歴史から生まれた。現代の備前市の強みは、一つの名物だけに集約されることではなく、この差異を近い距離の中で経験できることにある。

同時に、人口減少や担い手不足、産業と文化財の継承、地域間の交通といった課題も共有される。伝統を保存するだけでは暮らしは続かず、経済だけを追えば土地固有の記憶が失われる。必要なのは、過去を標本にすることでも、未来の名の下に消去することでもない。受け継いだものを、次の生活に使える形へ翻訳することだろう。

備前市とは何か

備前市は、山と海を持つ町である。陶器と耐火物を焼き、魚とカキを育て、三百年以上前の学校を守ってきた町である。そして古い国名を受け継ぎながら、現在の市としては2005年に始まった、まだ若い共同体でもある。

その全体像は、一つの名所からは見えない。窯の火から港へ、港から島へ、川をさかのぼって山里へと移動するとき、初めて輪郭が現れる。

備前市を紹介するとは、名物を並べることではない。異なる土地で営まれてきた生活が、いまどのように一つの市をつくっているのかを見ることである。

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