備前長船――鉄と火
かつての刀剣の一大産地・長船。そこでは今も、鉄と火、知識、そして人間の集中力が交わる。

「権右衛門は討入りの支度のとき黒羽二重の紋附きを着て、かねて秘蔵していた備前長船の刀を取り出して帯びた。そして十文字の槍を持って出た。」
これは、日本を代表する作家のひとりである森鷗外の「阿部一族」の一文である。
岡山の地に触れると、「備前」という名がいかに歴史的な重みをもつかがわかる。現在の岡山県は、中世には主として備前国、備中国、美作国に分かれていた。そのうち、岡山市や備前市、現在の瀬戸内市長船町を含む県南東部は、備前国に属していた。
つまり備前長船とは、備前国長船という土地の名を背負った刀なのだ。ここで「秘蔵」と書かれているように、備前長船の刀は名刀として高い評価を受けてきた。長船の刀工たちは、刀の茎に居住地として「備前国長船住」などの銘を刻んだ。
長船派の系譜は昭和初期に一度途絶えたものの、地域の尽力によって作刀が復興された。現在も長船の地では、刀匠が伝統的な技法によって日本刀を作り続けている。
実際に私はその製法を目の当たりにしたが、刀匠はすさまじい集中力をもって、赤く熱した鋼を鍛え上げていく。
また、彼らの技が職人の勘だけに支えられたものではないことも知った。鋼の炭素量や温度の変化を見極める、きわめて科学的な製法なのである。
日本刀は、鋼を溶かして型に流し込むことで作られるのではない。一般的な製法では、玉鋼を熱して鍛接し、何度も折り返して鍛錬する。この工程によって炭素量を調整し、不純物を取り除きながら、強靱な鋼へと仕上げていく。かつての人々は、長い経験の積み重ねによって、今日から見ても科学的な製法を築き上げていったのである。
日本刀づくりは、鍛造だけで完結するものではない。刀身の形が整えられ、焼き入れが終わると、専門の研師が手仕事によって地鉄や刃、刃文を研ぎ出していく。
その姿は、備前焼にも通じるように思える。どちらも火を用い、高い温度のなかで素材を変化させるからだ。
備前焼は土と火を、備前長船は鉄と火を扱う。
まことに備前の地は、豊かなものづくりの伝統を誇る。備前市を訪れた際には、瀬戸内市長船町にもぜひ足を延ばしてほしい。